私の仕事観は、間違いなく父親の影響を受けています。
多分、私が幼稚園くらいの頃、酒屋で働いていた父親の配達車に乗せてもらい、一緒にお客さん先を巡りました。
お客さんと楽しそうに会話する父親の姿に、言葉では現せない何かを感じていました。
私の仕事観の源流
それから時が経ち、私が小学校高学年の頃、父親はコンビニを経営し始めました。
コンビニが破竹の勢いで伸びる少し前のことでした。
それから数年間は、父親も母親も、昼夜関係なく、働く日々が続きました。
専業主婦だった母親も外に出て、深夜2時〜3時に帰ってくるのが当たり前になりました。
家事は祖母が行ってくれましたが、ほどなく他界し、姉が晩ご飯をつくる日が増えました。
まだ幼かった弟は、店に連れて行かれて、バックヤードで眠りにつく毎日でした。
たまに早く帰ってきて、家族団らんで晩ご飯。
そんなとき、睡眠不足が限界に達していて、ご飯に頭を乗せて寝ている父親が居ました。
もう50歳近くになっていた父親でしたが、毎日2〜3時間しか寝ていなかったのです。
子どもながらに、お店を経営することの厳しさを感じた瞬間でした。
それでもお店に行くと、楽しげにお客さんやパートさんと雑談する、酒屋の頃と変わらぬ父親の姿がありました。
仕事の大事にしたいところと、厳しいところ、その両面を父親からは感じていました。
1年前と変わらぬ仕事をしていませんか?
両親は今もコンビニを経営していますので、正月も関係ありません。
正月はアルバイトの学生さんが実家に帰省してしまうので、人の手が足りなくなってしまうからです。
そのため、私が学生だった頃は、年末年始は実家のコンビニを手伝いに行っていました。
(普段は別の近所のコンビニでバイトしていましたが)
このように、アルバイト・パートさんの稼働に、店の経営は依存している状態でした。
あれから20年経った今でも、状況は変わっていません。
人手が足りなくなると、両親は昼夜関係なく、働かねばならないのです。
もう高齢になった両親を見ると、何とかならんものか?と毎度思うのです。
同じようなことが私たちの仕事にもあるのではないでしょうか?
10年、20年後を見据えたら、少しずつ変えていかねばならないことなのに、
1年前と何も変わっていない仕事をしているとしたら?
私が独立した大きな理由の1つは、変化の少ない大企業に居続けることに危機感を感じたからです。
船が大きいから、方向転換するには年単位の時間がかかります。
部署異動するとしても、多くとも年に1回です。
しかし、これからの時代、それでは対応が遅すぎると感じたのです。
転覆するリスクはあれど、日々、方向転換できる身軽さがある独立。
それ以来、大会社に居たらありえないほど、様々な仕事の経験をさせてもらいました。
ただ1年前と比べて、変えたいと思っていたことを、ちゃんと変えられたのか?
そう考えると、「まだまだ何もやっとらんな・・」と。
変えないことと、変えること
その一方で、「変えないこと」があることも大切だと感じています。
何もかも、いたずらに新しくすれば良いわけでもありません。
私にとっては、父親がお客さんと楽しく会話していた姿。
経営の相談に乗る以上、常に楽しく笑顔で会話できるわけではありませんが・・
お客様に安心してお話しいただける場をつくり、自らの未来に希望を見出していただく。
このスタンスは、私が事業を営む以上、変えてはならないことだと考えています。
そういう軸を持った上で、変えるべきところは、ガンガン変えていこうと思います。
まだ変えたいのに変えられていないところが多々あります。
1年後には胸を張って「変えた」と言えるようにしたいものです。
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【編集後記】
トレランから2日、全く筋肉痛がなくなりません。
それどころか、ますます動けなくなる始末。
おじいちゃんより動きが遅いです。。
ひねった右足首が腫れてきたので、病院に行ってきます。。。
今日も素晴らしい1日になります。感謝!!
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