今朝、近所の中学校の野球部が市大会で準優勝して県大会に進出した、と地元メディアにあり。
家族で「すごいね~」なんて話をしていました。
ふと、自分の中学校時代を思い出すと、とんでもなく恵まれた環境にいたようです。
最初から「県大会以上」が基準の学校へ
私が中学校に入る直前、どの部活に入ろうか悩んでいた頃、姉が「バレーボール部がいいよ!」と勧めてきました。
私は小学校2年から6年までスイミングに通っていて、A級選手にギリギリ入っていたので、水泳部と悩みました。
(ちなみにA級とは、日本水泳連盟が制定している全国統一の基準です。12歳だとこんなタイムなのだとか。私が子どもの頃より若干、速くなっている気がします)
姉がバレー部を勧めてきた理由は単純で、先輩が全国優勝した直後だったからです。
今思うと、なんでもない普通の公立中学校が全国優勝ってすごくないですか?
何となく体験入部して、そのままの勢いで入部してしまいました。
すごさも分からないまま入部しましたが、今振り返ると、最初から「基準値が高かった」ことを思い出します。
地元の子ども達が普通に集まる中学校ですから、当然のことながら運動神経の良い子どもが集まる年と、そうでない年があります。
バレーボールというスポーツの特性上、背の大きい・小さいも大きく結果に左右します。
しかも男子中学生です。
1年生のときは小さくても、3年の夏の大会時に大きくなる子もいれば、
逆に1年のときには大きくても、そのまま大して背が伸びない子もいます。
そんなわけで強い学年と弱い学年の差ができるのですが、それでもこの中学校では、
「強い学年は全国へ」「弱い学年でも県大会でどこまで上位に食い込めるか」という基準でした。
そういう環境に放り込まれると、それが当たり前になっていました。
全ての部活がそうだったわけではなく、バレー部の顧問がそういう人でした。
全国レベルを見続ける
当時の横浜市はバレーボールが盛んでした。
神奈川・横浜を制すれば全国も制する!と各学校の顧問達は口をそろえて言っていました。
確かに当時は神奈川・横浜で上位に入っていれば、そのまま全国でも上位に入ることが多かったようです。
おそらく学生だけでなく、それ以前に顧問達のレベルが高かったのでしょう。
私の1学年上のチームは背が高く、運動神経も良い先輩が揃っていて、最初から全国を狙っていました。
なので区大会レベルなんぞで1点取られると、先輩たちは顧問に殴り飛ばされていました。。
(当時のバレーボールはサーブ権制ですから、2回連続やられないと1点取られません。とは言え・・)
いつも近隣の強い中学校同士で練習試合をしていたので、市大会の準決勝・決勝はいつものメンツでした。
お隣の川崎市も似たような状況で、上位2校はずっと同じでした。
他県とも、その県の優勝クラスとばかり練習や試合をしていました。
先輩たちは既に中学生レベルを超えはじめていたので、地元の有力な高校を訪問して練習してもらったりも。
春高バレーとかに出てくるような人たちの動きを目の前で見ることができました。
高校生の本番練習前のウォーミングアップに混ぜてもらったことがあるのですが、全く着いて行けず、そのままダウンしたことを覚えています・・(吐きそうになりました。。)
そんな人たちばかりを見続けていると、嫌でも基準値が上がっていきます。
土曜日の授業後(当時は土曜日は学校がありました)、午後いっぱい練習するのは当たり前。
日曜日に練習試合や試合があるのは当たり前。
平日は朝練があるのも、部活があるのも当たり前。
余談ですが、お金を使う暇すらなく、中学校3年間の部活が終わったときに、その間にもらったお小遣いやお年玉が丸々残っていました。
確か10万円くらいあって、驚いたのを覚えています。
基準値が上がれば結果も上がる
そんな先輩たちは予定通りに全国大会に出場しました。
で、先輩たちの引退後は私たちの代。
決して体格や運動神経に恵まれたチームではありませんでした。
ちなみに私の体育の成績は、幼い頃からずっと5段階の3程度。
たまに4になるときもありましたが、逆に2をもらったこともあります。
典型的な「平均程度」です。
当時「垂直跳びで70cm」が1つの基準になっていました。
体育の体力テストで周りが40〜50cm台ばかりの中で、バレー部だけが異様に飛んでいました。
運動神経が平均的な私でも70cm前後は飛べるようになっていたのです。
学校のマラソン大会(確か男子は4kmくらいでした)トップ10のうち、5名(私の学年は最終的に5人しか居ませんでした)をバレー部が占めていました。
日頃の運動量が他の生徒たちと比べて、圧倒的に違っていたのでしょう。
(また余談ですが、当時の同級生、先日の横浜トライアスロンで一緒に走りました。)
私たちの代は、1年後の夏の大会は県ベスト8だか、16くらいまで進みました。
今振り返ると、どう考えても基準値が高い環境に身を置いていたからこその結果です。
同じメンバーが普通の環境に投入されていたら、区大会で負けていたかもしれません。
たまたま、自分の学区にそういう恵まれた環境があったことを、今では感謝しています。
全国に行くことが当然の環境にいれば、全国に行く。
東大に進学することが当たり前の場にいれば、東大に行く。
独立・起業している人たちの中にいれば、自分も独立・起業する。
上場すること普通の環境に入れば、自分も上場できる。
そんなもんなんだと思います。
だからこそ、自分のありたい姿に近づくためには、それを体現している人の居る環境に身を置く。
それが一番の近道なのですが、それを強く体験したのは、この中学校時代です。
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【編集後記】
今朝は30年以上前に起業し、今は300人ほどの上場企業まで成長させた、
ある会社の会長にお会いしてきました。
これも自らの環境づくりの一貫ですね。
今日も素晴らしい1日になります。感謝!!
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