こんにちは、渋屋です。
既に何度か書いていますが、週末にドラッカーを学ぶためにセミナーに参加してきました。
講師はクレアモント大学院大学のドラッカー・スクールで、生前のドラッカーを含む教授陣から教えを受けた、プロジェクトイニシアティブの藤田さんです。
2日間学び、本当に色々なことを感じたので、今後、それらを記事にしていきます。
今日は、私たちがドラッカーを学ぶべき理由について考えてみました。
もぐら叩きのような慌しい生活を終えるために
現代人は、かつてと比べて慌しい生活に追われています。3分電車が遅れただけでクレームが発生し、働く親は子供たちに「早く!!」と何度叫んでいることでしょうか。仕事のスケジュール表は空いているところから、勝手に埋められていきます。これらの事例は極端な例ではなく、日常的なことではないでしょうか。
問題が起きては叩き、また問題が起きては叩き、またまた問題が起きたら叩き潰し・・・いったい、いつまで私たちはこんな生活を続けるべきなのでしょうか?人類は、現代人は本当に賢くなったのか?私は心のどこかで、それをいつも疑っていました。
石の目とは、原理原則のことかもしれない
出てくるもぐらを叩き続けても、もぐら叩き生活は終わりません。どんなに高速回転でもぐらを叩き続けても、根本原因は解決しません。もぐらが発生する土壌や環境自体を改善しなければなりません。
以前に「石の目」について書いたことがあります。どんな物事にも本質があり、その本質にエネルギーを投入することが、根本から問題を解決し、ありたい姿に近付く近道である、ということです。この石の目とは、言い方を変えると、ドラッカーの語る、原理・原則のことなのかもしれない、と思うようになりました。自分の置かれている状況に、ドラッカーの原理・原則を当てはめ、ドラッカーの問いかけてくる質問に答えようとするうちに、石の目を叩くことができるのではないか?と。
今まで、石の目を見極めるためには、職人的な感覚を研ぎ澄ますか、地を這うようにその仕事に没頭するか、そんな方法しかないと思っていましたが、ドラッカーの質問を投げかけることで、もっと石の目に近付くことができると思ったのです。
ありたい姿を描くために
もぐらが出てくる問題を解決するだけでは、人は幸せになりません。同時に、自分がありたい姿に近付く必要があると思います。そのありたい姿を明確にするためにも、ドラッカーの語る原理・原則や、投げかけてくる質問は役立ちそうです。ドラッカーの投げかける質問はシンプルですが、簡単に答えは出せません。ただ、それを何度も何度も自分に問いかけ続けるうちに、ありたい姿はより明瞭になってくると思うのです。
まとめますと、目の前の問題を解決するためにも、将来のありたい姿を描き、それに近付くためにも、ドラッカーの世界に浸ることは、大きな意味があるのではないか?と感じました。
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【編集後記】
新しい活動が続々と生まれてきています。今日も1件。
今日も素晴らしい1日になります。感謝!!