ここ数年間の恒例行事となっていますが、箱根駅伝を沿道で応援してきました。
ちなみに明日も見に行く予定です。
応援は力になる
自分がマラソンをやるようになってから感じることですが、応援は本当に力になります。
理由は分かりませんが、間違いありません。
もう疲れてしまってヘロヘロだったときに、子どもの元気な声で元気になれたことがあります。
初めてトライアスロンのロングに出たときは、応援がなかったら、きっと途中で止めていました。
箱根を走るようなエリートランナーは、ひょっとすると自分だけで実力を100%発揮できるのかもしれません。
でも、実際には監督が後ろの車で応援しまくっているので、きっとエリートも応援を力に変えているのでしょう。
応援の多いレースが人気になることからも、応援はとにかく元気になります。
そして毎年、箱根駅伝を応援していて感じるのは、応援する側も元気をもらっているということ。
頑張っている人を応援することによって、自分も元気になる。
こういう相互作用が、マラソン・ランニングなどの耐久系スポーツにはあると思います。
応援する側になって、疑問に感じたこと
今日、応援を終え、帰宅する人たちを見ていて、ふと疑問に感じたことがありました。
ダラダラと道を広がって歩いて帰る人。
タバコをふかしている人。
せっかく元気や感動をもらったのに、そういう人たちが少なからず居るのです。
「本当にそれで良いの?」
疑問に感じずにはいられませんでした。
必死に頑張っているランナー達に 「頑張れ!!」 と投げかけた言葉。
応援して気持ちよかった。
超・感動した。
いや~、良かった。
若者の汗は素晴らしい。
涙にやられた。
こういう気持ちを持つこと自体は自然なことだと思います。
でも、それだけで終わるんだったら、投げかけた「頑張れ!!」という言葉は、無責任すぎやしませんか?と。
応援するにも義務がある
大の大人が、人に 「頑張れ!!」 と言った以上、その人自身も頑張るべきだと思っています。
少なくとも、人が頑張っている姿を見せてもらって、自分も応援したのだから、
自分も少しは頑張ろうと、心に小さな火を灯したいものです。
そういう小さな火があれば、周りに大勢の人がいるところでダラダラ歩いて道を塞いだり、タバコをふかしたり、ゴミを捨てたりなんてできないはずです。
私は応援にも義務があると思っています。
今日は駅伝を応援する側になった。
明日は別のことで応援される側になるかもしれません。
社会に生きる以上、こういう応援の循環を発生させたいと思っています。
常に応援したり、されたり。
色んなときに、色んな場所で応援合戦が行われていれば、社会全体が良い方向へ動くからです。
こういう応援の循環を止めたくないです。
しかし、応援する側のテキトーな態度は、その循環を止めてしまいます。
「本気で応援する気がないなら、現場に来ないでテレビで観ててよ。」
ぶっちゃけ、そう思いました。
箱根駅伝のようなものの人気が上がっていくこと自体は喜ばしいことだと思っています。
しかし、人を応援するのであれば、それと同じくらい自分自身も頑張っているのか?
無責任に応援してやいないか?無責任に他者を頑張らせてるだけじゃないか?
そういう視点は常に忘れないようにしたいです。
新年早々、自分への戒めとしての記事でした。
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【編集後記】
箱根駅伝の応援後、そのまま妻とランニング。
中3日でのランニングでしたが、旅行中に好き放題飲み食いしたので、
カラダが重いこと重いこと。
少しは箱根の選手達を見習います。。
今日も素晴らしい1日になります。感謝!!
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