日々の気付き

命の重みを感じつつ、父親の最期を残しておく

昨年11月に父が他界しました。79歳。
約5ヶ月が経過し、新型コロナウイルスのニュースなどで命の大切さを感じる日々だからこそ、記録を残しておこうと思います。

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月に1度の病院付き添い&ランチ

以前に肺がんの摘出手術を行った父でしたが、何年か前に再発。
見つかったときにはステージⅣ、かなり進行している状態でした。

もう手術などで治すことはできない。
「がんを押さえながら、残りの人生をどう良く生きていくか?」を考えましょう、と医者に言われたそうです。
母親が泣きながら電話してきたことを思い出します。

同じ市内に住んでいるにも関わらず、あまり頻繁には会いに行かない親不孝者でした。
この件があってから、月に1度、病院に付き添う生活が始まりました。
フリーランスという働き方をしていたことで、予定を組みやすかったです。

仕事でどうしても予定が合わないこともありましたが、
だいたい午前中に病院に付き添い、医者からの話を一緒に聴きました。
その後は、一緒にランチへ。

父親はその日の体調によって、あまり食べられない日もありました。
ただ母親が言うには、私と一緒のときには、良く食べたそうです。
私は世間一般で言えば普通のオッサンですが、それでも息子と一緒に過ごす時間は、嬉しかったのかもしれません。

嬉しそうな父親の姿&弱っていく父親

普段は昼食を一緒にしたら、私は仕事に戻っていきました。
あるとき、昼食後に実家まで一緒に行って、ゆっくり話をしたことがありました。
仕事の予定がなかったこともありますが、真面目に父親が亡くなった後の話もしなければならなかったからです。

私は長男ですので、その辺の話をしっかり聴いておく必要があると考えていました。
が、父親はそんなことお構いなし。

何だかとても楽しそうに、色んな話をするのでした。
どの話も、過去に聞いたことのある話ばかり。
「その話、もう前に聞いたよ」と言いつつも、活き活きしている姿を見れました。

その後も昼食後に「今日は家に来ないのか?」と言われたことがありました。
あの時間を楽しみにしてたのだとしたら、あまり行けなかったことが無念です。

少しずつ、身体は弱っていきました。
特に変わったのは体重。
最期は30kg台半ばくらいまで減っていたはずです。

薬の副作用で、食欲がなくなってしまっていました。
味の感じ方も変わってしまって、それまで大好きだったものすら、食べられなく。

肺を病んでいますから、少し動くだけで息苦しくなる。
体重低下と共に、体力も落ちていく。
そして、それまで効いていた薬が、ついに効かなくなってきました。

大事なものを託される

ステージⅣを宣告されてから数年。
ある日、動けなくなって救急車で運ばれ、入院しました。
ただ、状況はそこまで深刻ではなく、私たち家族も普通にお見舞いに行っていました。

そんなある日、父に言われました。

「やっと死ぬ覚悟ができた」
「りゅう(父親は私をそう呼びます)、後のことは頼むな」

私は父親が、勝手に覚悟はできているものだと思っていました。
死の宣告を受けてから、もう何年も経っているのですから。
でも人間は、実際に「それ」が近づいてこないと、覚悟はできないものなのかもしれません。

何がキッカケかは分かりませんが、父は「それ」を悟った。
そして言葉少ないものの、大切なことを私に伝えたのだと感じました。
残される母親のこと、渋屋家のこと、姉弟のこと。
今まで父親が大切にしていたものを託されたのでしょう。

最期のとき

「そのとき」は突然やってきました。

全くそんな前兆はなかったので、私は午前中にマラソンレースに参加。
しかもお見舞いの病院までも走っていきました。
お風呂でゆったりして、何ならお酒まで飲んでしまおうか迷うほどに。

お風呂から出て、午後からお見舞いへ。
既に母親はお見舞いに来ていて、2人で最期を看取りました。
まるで私が着くのを、待ってくれていたように。

原因は、薬の副作用。
最も恐れていた肺の石灰化が起きてしまいました。
父親が、より可能性のある薬へ変える決意をした数ヶ月後でした。

苦しみ、意識をなくしていくまでの父親の姿。
最後の最後、意識を失った後、母親が声をかけたときに、ほんの一瞬だけ意識を取り戻した姿。

医者・母親・私で話をして、最期になることの確認。
テレビドラマか何かで見たように、計器の数字が少しずつ小さくなっていく。
「親父危篤」、他の家族にも連絡しましたが、最期には間に合いませんでした。

まだ体温は残っている父親の手を握って、「ありがとう」と伝えました。
私を含めた兄弟を、ここまで育ててくれてありがとう。
自営業を始めて、子供の目から見ても信じられないくらい、色んな苦労をしていたようでした。

泣きながら病室に入ってきた姉。
「まだ温かいね」と言って、姉も父親にお礼を言っているようでした。
父(じいじ)の最期の姿を見て、外に出て行って泣き出した息子。

父親が亡くなったあと、しばらくは毎晩、最期の姿を思い出しました。
苦しかったろうなぁ~と。
記憶がリアル過ぎて、しばらくは記事にするのも止めていました。

命の重み

今、毎日亡くなった人数がニュースに流れてきます。
でも、統計上の数字はあくまでも数字。
実際には、「目の前のその1人」が大切なんですよね。

つい先日、息子が新型コロナウイルスにかかる夢をみました。
最期の父親のように、苦しんでいる息子の声だけが聞こえてきたのです。
慌てて飛び起きて、夢だと気付いて安堵しました。

父の死から、新型コロナ騒ぎを受けて、改めて命の重みを感じています。
いつ失うかも分からない命ですから、今を大切に生きていきたいものです。


【編集後記】
遺言は、ちゃんと残しておかないと、遺族が面倒なことになります。
自分もいつどうなるか分からないから、ちゃんと書いておかないと。


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