エネルギーが不足してきたら食欲が出てきたり、
睡眠が不足してたら眠くなったり。
ちょっとした一言に目頭が熱くなったり。
本来、私たちの感覚は、私たちが生き抜くために、バランス良く機能しています。
しかし、必要もないのに食べ物を食べ続けたり、逆に食べられなくなったり、
寝ようとしているのに眠れなくなったり、逆にいつも眠かったり。
自分でも思い出したくないような言葉を発してしまったり。
私たちの感覚は死んでいるのではないでしょうか?
街中で見かける歩き方が変な人たち
最初に感覚がおかしいと思ったのは、私がランニングを始めた頃です。
ランニングコーチに基本を教わっていたので、日ごろの歩き方から気を付けるようになりました。
そこで周囲を見てみると、歩き方が変な人たちがウヨウヨしているのです。
例えば、若い女性に多いのは内股。
極端に内股過ぎて、一歩の幅が非常に狭くなっているのです。
だから若いのに歩くのが、やたらと遅い。
スニーカーなどの靴底の減りが分かりやすい靴の場合、
内側だけ削れていて、それが内股を余計にひどくさせています。
これだけ変な状態になっているのに、なぜ本人は気づかないのでしょうか?
感覚が死んでいるからでしょう。
そして、自分自身を観察しようとする意識がなくなっているからでしょう。
同じように気持ちも死んでいる
なぜ感覚が死んでしまうのでしょうか?
私は感覚を止めでもしないと、この世の中では辛いことの方が多いからだと思っています。
その1つが満員電車。
最近だけでも2件、自分が乗っていた電車や駅のプラットフォームで喧嘩しているところを見ました。
やれやれです。こんな人たちを毎回相手にしていたら、こっちが疲れてしまいます。
満員電車に乗っているだけで、感覚を抑えた方が良いと感じます。
なお、ここまで書いてきた感覚とは、身体のことだけではありません。
感情を含めた精神的な感覚も指しています。
実際、私は社会人になって1年目か2年目の頃、
「感情を殺さなければ、仕事などやっていられない」と感じたことがありました。
例えば社長の親戚だというだけで、全く仕事をしない部長。
毎日遊んでいるだけのに、私の4~5倍も給料をもらっていました。
こういう理不尽なことや、腹が立つことに、いちいち敏感に反応していたら、精神が持たないと考えたのです。
それ以降しばらくの間、仕事中は自分の感情に蓋をし続けたことがあります。
(最近になって、やっと、それでは幸せになれないことに気づいたのですが)
身体も心も、下手に感覚を鋭敏にしすぎると疲弊してしまう社会。
だから感覚が死んでしまう人が増えていて、ますます世の中が余計な刺激で溢れるのではないか。
そう感じるようになってきました。
どうやって感覚を取り戻すのか?
世の中の一部の人たちは、既に感覚を取り戻そうと手を尽くしています。
ヨガ、ピラティス、瞑想、ファスティング、マインドフルネス、クリスタルボウル、etc
これらが流行っている理由は、単なるダイエットだけではないでしょう。
本来の自分、本来の自分が持つ感覚を取り戻すための活動だと思うのです。
そして自分の感覚をありのまま素直に受け入れる。
そうできる人が少しずつ、増えているように感じます。
溢れる食べ物と距離をとるためのファスティング。
溢れる情報を遮断するための瞑想。
凝り固まった身体を開放するためのヨガ・ピラティス。
など、こういうところに人が集まってきているのは、決して偶然ではないと思います。
皆、自分の感覚を取り戻しに来ているのではないでしょうか。
私も遅ればせながら、瞑想を学んだり、
情報を遮断する時間を設けたりしています。
感覚を抑え、正直な自分すら見失ったまま死にたくない。
死ぬときには、自分に正直に生きてきた。
そう感じたいな、と。
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【編集後記】
仲間と山に行く予定だったのですが、別件のために欠席。
息子の空手の時間に10kmだけ走ってきました。
今日も素晴らしい1日になります。感謝!!
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