ランニング・トライアスロン

気付いたら自分の基準値が変わっていた件

ふと過去を振り返ったとき、自分の基準値が大きく変わっていることに気付きました。
私のランニング歴を例にご紹介したいと思います。

 

「ハーフマラソンが限界」だったはず

初めて出場したハーフマラソン「神奈川マラソン」のことは、きっと忘れません。
10数kmから死ぬほど苦しくなって、それでも何とか予定通りのタイムでゴールしたのでした。
しかし、その後に足・アキレス腱・腰・膝など、次々と痛み出し、
全部が収まるまでに1ヶ月以上、掛かってしまったのでした。
(レース翌日のブログがこちらです。記事の早々に泣き言が書いてあります。)

「フルマラソンなんて、絶対にやらない」
そのとき、私はキッパリと、そう宣言したのでした。
2013年2月に参加した大会。たった2年ほど前の話です。

 

気付けば、フルマラソンが普通の世界に

しかし、ランチーム「Admiral」の仲間の勢いに乗せられて、
気付けば同年11月の湘南国際マラソンにエントリーしたのでした。

当時の自分としては、やれるだけのトレーニングは積んだつもりでした。
初のフルマラソンは30~40kmをほとんど歩いて進むという、
苦行以外の何物でもない結果でした。時間は4時間44分。

本当に辛かったのですが、自分の不甲斐なさに悔しさがこみ上げてきました。
「サブ4(4時間切り。市民ランナーにとっての1つの到達点)を達成するまでは止められない」
翌年3月の古河はなももマラソンに向けての練習が始まりました。

それから時間が経ち、今年の横浜マラソン。
その前の週には、久米島トライアスロン(スイム2km、バイク66km、ラン20km)を走っていました。
にも関わらず、フルマラソンに出てしまったのです。

いつの間にか、タイムさえ問わなければ、
フルマラソンは「日常的にチャレンジできるもの」に変わっていました。
実際、横浜マラソンは、前の週の久米島トライアスロンもあったためか、
気が緩みまくり、忘れ物を過去最高にしてしまったレースでした。

明日フルマラソンを走ってくれ、と言われれば、きっと走りきれると思います。
「フルマラソンなんて、絶対にやらない」
そう宣言してから、まだ2年です。

 

フルマラソンが「オマケ扱い」の世界に

そして、これから、フルマラソンがまるでオマケ扱いの世界に飛び込みます。
6月に予定されている「五島長崎 国際トライアスロン大会」 。
「バラモンキング」と、ドラクエのモンスターのような名前のついた大会は、
スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km、合計226.2kmを走破するという、
紛れもない変態のレースです。

スイムだけでも、バイクだけでも、ランだけでも、十分に恐ろしい距離です。
経験があるのは、フルマラソン相当のランだけ。
10時間以上、動き続けた後に、果たしてフルマラソンが走れるのか??

そもそも、3.8kmも海を泳げるのか?
それ以上に、バイクで180.2kmも乗り続けられるのか?(ここが一番不安)

不安に思いつつ、ふと気付いてみると、
「フルマラソンがオマケ扱い」になっている世界に、2年でたどり着いたんだなぁ~、と。

ずいぶん、基準値が変わりました。
他のことも同じでしょう。

  • どのくらいの頻度で、新たな人と出会うか?
  • 将来への自己投資に、どれだけの時間とお金を使うのか?
  • 自分をどんな存在として、知ってもらいたいのか?
  • 自分はどんな価値を提供できるようになりたいのか?
  • 狙いたい収入はいくらか?
  • どんな人たちと一生を過ごしたいか?

etc

全てのことは、チャレンジを続けているうちに、基準値が大きく変わっていくものです。
2年前、たった21km走っただけで泣いていた男が、226.2kmのトライアスロンに
チャレンジできるようになるんです。

「基準値は自分の行動によっていかようにも変わる」

忘れないようにしたいですね。

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【編集後記】

こんばんは、仕事の後、気心の知れた仲間との送別会です。
送り出してもらう側になるのですが、どんな会話になるのか、楽しみです。

今日も素晴らしい1日になります。感謝!!

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