会社員を辞めてフリーランスになったとき、最も恐ろしかったのは「空白の時間」でした。 ただ、それをずっと恐れ続けていては、フリーランスとして生き抜くことはできないと考えています。
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スケジュールが埋まっていることがステータス?
会社員の頃は、スケジュールが埋まっていることが、自分の存在価値だと考えていました。
最初はITエンジニアだった時代。この時代、自分のスケジュールが埋まっているということは、お客様と会話をしたり、設計やテストを行ったり、価値を生み出す時間が多かったことを意味しています。
しかし後に管理職になると、スケジュールが埋まっていると言っても、そのほとんどは社内会議。その一部は人の教育や、文化の醸成など、間接的に価値を生み出すものもありました。しかし、それはあくまでも一部。その他の多くは、衝突している部門間の調整だったり、偉い人に向けて説明するための下ネゴだったり。
多いときは朝から夕方まで7〜8回のミーティングが入っていました。1回1時間とすると、ずっとミーティングです。ミーティングしながら勤怠管理したり、経費承認したり、「何やってんだろう」と感じていました。
価値を生み出していない時間が多くなるにつれ、私は疑問を抱くようになりました。それでも、勝手にミーティングを入れられることは避けられません。「必要とされている」ということが、ひょっとすると心のどこかで拠り所になっていたのかもしれません。
その病気が、独立直後に恐怖となって襲ってきました。スケジュールがポッカリと空いていると、「社会から必要とされていないのではないか?」という恐れになったのです。
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顧客に価値を提供する時間と、その他の時間
しかし、その恐れの背景にある思考にはバグがあると気付いていました。会社員時代、朝から晩までスケジュールが埋まっていることが当然。さらには独立の準備として副業もやっていたので、本当に時間が足りませんでした。
独立直後は、ある企業に週に4日訪問していたので、ほぼスケジュールは埋まっていました。それでも平日に1日、ポッカリと空いた時間が私に問いや感情を投げかけました。
「定年退職した人は、こんな風に時間を持て余すのかな?」
「会社を辞めて、こういう時間を得たかったはずだ。では、何をしたいのか?」
「この時間をどう活かすべきなのか?」
「ヒマな時間に慣れるようにしなければ」
「普通の会社員にできないことをしよう」
今後の計画を立てたり、サービスメニューを考えたり、平日に空いているところへ行ったり。自分なりに仕事に関係することも、そうでないこともやりました。
当然のことながら、事業はお客様にサービス(価値)を提供する時間だけでは成り立ちません。今は大企業で得た経験が活かせるかもしれないが、インプットが枯渇したら、何の価値も提供できなくなってしまう。
事業のバランスを考えたときに、仕事の半分が直接、お客様に価値を提供する時間。その他の半分がインプットや準備の時間。それくらいの割合で良いのではないか、と感じるようになりました。
そして、少しずつその割合に向けて、仕事を調整してきました。実際、今はそのくらいです(1日のうち、お客様とお会いしているのが半日くらい)。ただ、それで事業を成り立たせるような価格設定が必要です。
余談ですが、公的な仕事だけで事業を回していると、この半々の割合は実現できません。単価が低いからです。例えば、私がやったことのある公的事業だと1日稼働で約3万円です。半日しか動かなかったら1.5万円しか得られません(しかも税引前)。
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成果とは何か?
売上ゼロの「空白の時間」と向き合ったことで
- そもそも仕事とは何か?
- 成果とは何か?
という問いが自分の中で回り続けるようになりました。自分のスケジュールというのは、あくまでもやるべきことを並べた結果に過ぎません。
大切なのは、自分がミッションとして掲げていることに、定性的・定量的に近づいているのか?という「成果」です。どんなにスケジュールが埋まっていても、成果を得られていないのであれば、意味がありません。
経営者がミッション・ビジョンに向き合うキッカケは様々だと思いますが、私の場合は、このようにして空白の時間がキッカケとなりました。
今は空白の時間で次に向けた仕込みをしたり、思い切り休んだり遊んだり、都度、スケジュールを自由に組み立てるようになりました。
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