4年生になった息子が新たに勉強を始めました。
今までは問題を解くだけでしたが、週に1度、作文を始めたのです。
与えられた問題を解くか?自分自身で何かを生み出すか?
その違いはとてつもなく大きいようで、苦戦しまくった挙句、息子は半べそをかいていました。
これは子どもに限らず、私たち大人にとっても大切なことのように思います。
答えを探す、与えられる人生で良いのか?
例えば資格や学位、所属している会社や職位などで人を判断する人。未だに多いです。
資格マニアは、資格に価値を感じているのですが、自分自身に存在価値を与えることができません。
だからいくつ資格を取っても、まだ足りないと感じているのです。
上司の指示にしたがうことで責任を放棄している人も同じです。
「自分は上司に与えられた指示(答え)にしたがっただけ。だから結果がでなくても自分のせいではない」と。
このような既にある答えを探すだけの人生、あるいは答えを与えられ、それに従うだけの人生。
果たしてそんな生き方で良いのでしょうか?
ちなみにこのスタンスは短期的には非常にラクです。
既に答えがあるか、あるいは与えられるだけなのですから。
ただ、このようなスタンスのままでは、自分で問題を作り、自分で答えを探し出す実力はいつまでも身につきません。
そんな筋力も脳力も使っていないのですから当然ですね。
いきなりやろうとしても、そう簡単に自分で何かを生み出すことはできません。
ただ、その難しさを乗り越えない限り、いつまで経っても、他人から答えを与えられるだけの人生です。
そして中長期で見ると、自分では何もできなくなってしまいます。
自分の人生にも関わらず、人に指図されるだけの人生。
自分自身の人生に対して、コントロール権を失う人生。
中長期で見ると、非常に苦しい生き方です。
動かない限り答えは出てこない
答えは与えられるもののではなく、創り出すもの。
作文で、そのつらさを息子は感じているようでした。
机に向かっているままでは答えが出ないので、一緒に風呂に入りながら、色々と考えました。
会話をしながら様々なと思いを巡らせて、ようやくアイデアが出てきたようです。
私たちも同じではないでしょうか。
定時に帰ることを目標に働いている人には、仕事を楽しいと思う人の気持ちが分かりません。
会社員だけで群れていたら、起業家の価値観など理解できないでしょう。
仕事しか見ていない人には、家庭の温かさを感じることができません。
家にこもっているニート・主夫・主婦に、仕事の厳しさは理解できません。
自分にとって本当は何が答え(=求めているもの)なのか?
今いる環境で唸っていても答えはでてきません。
現在地から飛び出して、自分の知らない世界と交わり続けた結果、見えてくるものではないでしょうか。
もちろん、動き続けた結果、今いる場所が最高と思うこともあるかもしれませんが。
答えのない複雑な道に踏み出そう
答えを与えられる世界から、自分で創り出す世界へ。
上司の指示にしたがうのではなく、自分の意見をぶつけてみる。
資格や学位の権威にしたがうのではなく、自分自身をブランド化する。
仮に大学院などの学校に通うことにしても、良い得点を取るためではなく、良い問いを生み出すことにしたいものです。
ビジネスにせよ、人生にせよ、本来、答えなんてありません。
あるのは「自分はどうしたいか?」という感覚だけです。
最初はなかなか問いも答えも作り出せずに苦労することでしょう。
しかし、自分自身の人生、コントロール権を握るのであれば、道は自分で切り開くしかありません。
自分で作文できると楽しくなってくるように、
私たちも自分の道を自分で創れるようになると、人生が楽しくなってくるのではないでしょうか。
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【編集後記】
今日はトレイルランニングのレースです。
30kmの予定でしたが、降雪と法面の崩落により、コースが変わり17kmのレースとなりました。
今日も素晴らしい1日になります。感謝!!
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